『そして誰もいなくなった』を読む

※本記事はネタバレしている可能性があります。

 

そして誰もいなくなった』を読む

文藝春秋編『東西ミステリーベスト100』を順に読んでいくことにした。
ミステリージャンルは、いまやエンタメの王道のジャンル。それが面白い理由を探ることは、直接間接に仕事のためになるだろうなと、新井久幸『書きたい人のためのミステリ入門』(新潮新書)を読んで思った。
 

第1作目はアガサ・クリスティーそして誰もいなくなった』。

以下、付箋をつけたところ。太字は筆者による。

 

端的・そっけない・あっさりな匂わせ

マッカーサー将軍がロンバードに話しかけた。
「あんたは方々に行って、世間が広いんじゃないかな」
「まあ、あっちこっち、ほっつき歩きましたけれどね」と、ロンバードはつまらなそうに肩をすくめた。
〝次は、おまえは戦争に行ったのか、そんな年なのかと、きくんだろう。こういう年寄りは、いつもそうだ〟と、ロンバードは思った。
ところがマッカーサー将軍は、戦争のことには触れなかった。

『誰もいなくなった』では、オーウェン人物に客たちが招かれる。客はみな「法律では裁けない罪」をもつ。軍隊にいたマッカーサーは自分の妻と不貞を働いた部下を戦地に送り、結果として部下は死んだ。引用部分の時点ではその事実は明かされていない。

元将軍は過去の栄光を話しそうなものだが、マッカーサーはそっけない。なぜなら、うしろめたいから。このやりとりの後は、サッと次のシーンに切り替わる。このあっさりな匂わせがうまい。ここ以外も、端的な挙動やセリフで人物や内心を表現している。客たちは多いからひとりひとりをこってり書いているとテンポが失われるしダラダラ長くなるからこういう処理は勉強になる。要は書きすぎてない。

 

「今はスピードの時代」 

マーストンは肩をすくめた。「今はスピードの時代ですよ。だいたい、イギリスの道路がなってないんです。まともなスピードも出せやしない」 

 

マーストンは、北欧の青年。若さが爆発するいい男で、過去の罪は交通事故で子供二人を死なせたこと。いいセリフだ。こういう時代の空気が伝わるし、マーストンの軽い性格も伝わる。以下のサイトによると、

gazoo.com

1923年にフランスでルマン24時間レースが始まり、1929年にモナコ・グランプリの第1回大会があった。

 らしい。本作は1939年刊行だから、マーストンのこのセリフは読者にすっと理解されただろう。

 

見事なクズ台詞

〔ブロア〕「(…)いいですか、考えてみてください。あの夫婦は人を殺して、誰にも知られずにすんだ。ところが、すべてがばれそうになったら、どうなると思いますか。女がペラペラしゃべりだすのは、まず間違いない。シラを切るだけの、ずぶとい神経がないんですよ。亭主にとって、女房はまさに爆弾そのもの。男は大丈夫です。男はどんなことがあろうと、なにくわぬ顔をしていられる――だが、女房はわからない!もし女房が耐えきれなければ、自分の首もあぶない!そこで、亭主はお茶にこっそりなにか入れて、女房の口を永久にふさぐんです」

これは元警部のブロアが、ほかの客たちに、使用人の夫婦のうち、妻が死んだことについて、その犯行が過去の殺人を隠そうとした夫の手によるものだと推理するシーン。女と男、妻と夫に対する、乱暴すぎる考え。当たり前だけど、登場人物が語るセリフで、アガサ・クリスティーの考えではない。むしろ書きぶりから、この人物の愚かさを敢えて露呈させる狙いがある、とおもう。見事なクズぶりで、むしろこのクズぶりをうわあと思えるのは、現代の読者のほうが多いかもしれない。

引用はしないが、中盤、客同士は男性と女性同士でパッキリと別れて、コミュニケーションするようになる。男性同士、女性同士のコミュニケーションの違いが興味深い。ざっくり言えば、男たちは互いが自分と同じものと思っているが、女性たちは互いが違うものと前提したうえで話しているように思える。ヴェラとブレントのシスターフッドを読み込もうと思えば、できそうだと思う。

 

 縮みあがる名判事

ウォーグレイヴ「おや、そうかな。実際に起こりうることは、すべて考慮の対象にしなければいけない」

 ウォーグレイヴはベテランの判事。このセリフを見たときに、「あり得べからざることを除去してゆけば、あとに残ったのがいかに信じがたいものだっても、それが事実に相違ない」(「緑柱石の宝冠」延原謙訳)を思い出した。

 

彼女は判事の腕をつかんだ。スポーツ・ウーマンの強い力に、判事はちぢみあがった。

このご立派な訓示を垂れる判事がこのあと、スポーツ・ウーマンことヴェラの、身体的な接触を受けて「ちぢみあが」る 。クリスティーのこういう描写はかなり好きだ。